【現在社会の憂い】
ルトガー・ブレグマン氏は弱冠30歳で『万人のための自由なお金』など4冊の本を著し、現在ヨーロッパでもっとも注目される若い世代の論客として注目を浴びています。『万人のための自由なお金』は英語では『Utopia For Realists: How We Can Build the Ideal World』というタイトルで、また邦訳では『奴隷なき道‐AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』というタイトルで文藝春秋社から出版されています。
ベルリンの壁崩壊の前の年に生まれたブレグマン氏は、フランシス・フクヤマが著した『歴史の終わり』に象徴されるような、民主主義と自由経済が国際的に勝利し、あとは豊かで安定した世界が続くという論調の中で育ちましたが、2008年になると世界金融危機が起こり、さらにイギリスのEU離脱国民投票やアメリカのトランプ大統領の選出など、予想外の出来事が相次ぎ、歴史は終焉していないことは明確です。豊かな国であるオランダでも燃え尽き症候群やうつ病を患ったり、仕事に生きがいが感じられなかったり、消費生活から抜け出せなかったり、人々は必ずしも幸福ではありません。
そんな中で歴史を専攻していたブレグマン氏は、どの時代にも〝夢〟があり、奴隷制廃止や民主主義、男女同権など〝未来を勝ち取る〟ための大いなる思想が存在したけれども、現在の夢は何だろうと問いかけたといいます。初めはユートピア的な空想にすぎなくても、SFに描かれたことが科学技術の進歩によって現実になるように、社会的な夢もやがて現実になります。そこで目についたのがどんどん広がる経済的格差をどうにかするということでした。
1970年代には数々の経済学者や哲学者が、人類は将来労働時間を短縮し、最大の課題は持て余した時間をどう過ごすかだろうと予想していました。ところが、1980年代に入ると、先進国の人々の労働時間が次第に長くなっていきました。非正規雇用が広がり、自分の好きなように仕事ができると もてはやされたギグエコノミー(インターネットを使い自分で決めただけの単発の仕事を請け負う)も、仕事が不安定なので結局長時間働くことを強いています。このような状態から人々を開放するのが、すべての国民に最低限の生活を維持するのに必要な金額を給付するベーシック・インカムです。
【ベーシック・インカムをどう位置づけるか】
ベーシック・インカムは過去にアメリカなどで実施寸前までいったといいます。右派の市場原理主義経済学者ミルトン・フリードマンからも、左派のケインズ経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスからも支持され、1969年にニクソン大統領が提唱した「家庭援助制度」はベーシック・インカムの一種で、下院を通過しましたが、ベーシック・インカムを支持しながらも法案よりももっと包括的なベーシック・インカムを望む民主党によって上院で葬られました。
ベーシック・インカムが反対されるのは経済学的な理由ではなく、イデオロギー的に受け入れられないからのようです。「労働」とはどうあるべきものかという価値観と絡んでいるのです。誰かに雇われて賃金を稼ぎ、税金を納めるのが本当の労働、という19世紀以来の固定観念に縛られていると、ベーシック・インカムは社会に相応しくないものに見えます。子供の面倒を見たり老人を介護したりするのは「労働」ではないという思いです。
ベーシック・インカムは権利であって、お恵みやお情けではありません。すべての人がいつでも無条件で受け取ることができ、使い方も本人次第です。社会通念を根本から覆すような政策ですが、人々が貧困状態で生活するのを認めるほうがベーシック・インカムを支給するより社会的なコストが大きいとも言えます。
進歩的な人々は、貧困は人間の道徳に反するもの、不公平に根差すもので、貧困に陥った人には救いの手を差し伸べなければならないと考えます。このような「思いやり」の言葉に共鳴する人も多くいますが、ブレグマン氏はそれで選挙に勝つことはできないだろうといいます。代わりに、「進歩」、「効率性」、〝貧困解消に資金を出すことは元が取れる投資である〟という発想を前面に出すとよいと言います。貧困を許すと、医療制度の維持費が上昇し、犯罪率も上昇し、児童生徒の成績が伸びず、〝人的資本〟を社会が失うことになります。貧乏人には構っていられないという立場の人たちでも、ベーシック・インカムを導入した方が金銭的に有利だという結論に達するでしょう。ベーシック・インカムによって人々が適切な仕事につける余裕ができ、新しいビジネスを始めるためリスクを冒すのもそれほど問題にならなくなります。これによって社会に革新をもたらし、資本主義を極めることができるようになるわけです。
【カナダでの実験】
ベーシック・インカムは怠けることを助長することになるという議論があります。本当にそうでしょうか。ブレグマン氏は、「ベーシック・インカムを受け取ったらあなたはどう使いますか?」と尋ねると、みな「今までやりたくてもできなかったことができるようになる。無駄遣いすることはない。」と答える人が多いそうですが、「ベーシック・インカムを支給すると他の人々はどのように使うと思いますか?」と尋ねると、「酒や薬物、賭け事に使ってしまうのではないか。」という答えが返ってくると言います。
1970年代にカナダのドーフィンという小さな町で、貧困をなくすためにベーシック・インカムを支給すると社会的にどうなるかを調べるために実験が行われたそうです。1974年から4年間社会学者、経済学者、人類学者などがドーフィンに移り住み、さまざまなデータ、観察結果、インタビューなどが集められました。ところが4年後政府が変わりこの調査は取りやめになったため、結果を分析する資金もなく、2000個の箱にしまい込まれた調査結果は25年のあいだ日の目を見ることがなかったと言います。その後、この調査について知った大学教授が調査結果の存材を確認したところ、それがそっくりそのまま見つかり、現在何人もの学者がその分析に取り組んでいるということです。大まかに言えることは、ベーシック・インカムによってこの自治体では医療費が下がり、犯罪率も下がり、児童生徒も学校での成績が上がり、人々は特に怠けるようなことはなかったという結果です。
【ベーシック・インカム導入に反対するわけ】
ベーシック・インカムは保守派からも進歩派からも反対されることがあります。理由のいくつかを見てみましょう。
1. ベーシック・インカムを導入すると、そのほかの社会福祉政策が保守政権によって廃止されるのではないか? 医療費や教育費が全額負担になるのではないか?
答え:確かにそのような恐れはあるが、だからといって実施を避けるべきだということにはならない。どんなに素晴らしい考えでも乗っ取られたり、改悪される可能性がある。物事には細かいところに罠があるものだ。ベーシック・インカムといっても100通り以上の実施方法がある。細部について議論し、これまでの社会保障をさらに補うものにしなければならない。
2. ベーシック・インカムを導入しても労働条件や雇用市場を改善することにはならず、かえって現状を固定することになるのではないか。
答え: ベーシック・インカムを導入すると長期的にいろいろな波及効果がある。ベーシック・インカムは基本的な収入を保障するので、教師であれ、看護師であれ、ごみ収集作業員であれ、ストライキによって労働交渉することが可能になる。つまりそれによって交渉力が増すために、賃金も上がってゆく。また、ごみ収集作業員のストが行われることによって、社会にとってその仕事がいかに重要であるか認識されるようになる。1970年にアイルランド共和国全土で銀行員が6か月のストを行ったときには、社会への影響は驚くほど少なかった。ベーシック・インカムの導入によって社会への必要度によって各業界の賃金が改定されてゆくのではないか。
3. ベーシック・インカムは無給のボランティアの仕事と有給の仕事という、本来必要のない労働の区別を固定化し、家事や子供の育児に専念する人々の労働を隠してしまうのではないか。労働を再定義することにこそ取り組むべきではないか。
答え: 逆に見れば、ベーシック・インカムはボランティアの仕事の意義を真に評価するもので、ベーシック・インカムがあるがゆえにボランティア活動をしたいという人が増えてくると思う。そうはいっても、ベーシック・インカムは万能薬ではなく、実施方法にもいろいろあるし、それを補完するさまざまな政策を導入する必要も出てくる。
【終わりに】
雇用問題、住宅問題、気候変動、国粋主義が幅を利かすなど、現在の社会は楽観的になれる要素が少ないように思えるが、ブレグマン氏は自分をペシミスト(悲観主義者)でもオプティミスト(楽観主義者)でもなく、ポシビリスト(可能主義者)だと言います。変革の考えは常に社会の周辺・末端で〝気の違った〟人間によって生み出されるものですが、それが徐々に中心に進んでいくことで社会に広まるのです。政治家が取り上げるようになるのは最後の段階なのです。ユートピアは実現可能だというのが、ブレグマン氏のメッセージです。
ブレグマン氏も言っているように、ベーシック・インカムは万能薬ではありません。ドイツの実業家ヴェルナー・ゲッツ氏はルドルフ・シュタイナーの社会論を研究・実践した人でもあります。シュタイナーは労働は権利に属することであって、経済活動の問題ではないという趣旨のことを説いていますが、ベーシック・インカムの考えはそれを具体化する一つの方策と言えるかもしれません。けれども一方で、シュタイナーの社会三分節論やアソシアティブ・エコノミクスを説く人々の間でベーシック・インカムを提唱する人は必ずしも主流ではないようです。そもそも社会の中でなぜこれほどの収入の差があるのかということにベーシック・インカムは全く触れないからかもしれません。ベーシック・インカムはある意味で、資本主義体制という枠組みの中で社会正義を実現しようとする、社会民主主義的な政策の一つの最高峰と考えられるのではないでしょうか。確かに現状よりも一歩も二歩も進んだ政策です。
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